
裕福な生活に憧れて 貧しさ抜け出せず帰沖 屋宜ふみ子さん<埋もれた沖縄移民史 ボリビアの大地で>2
「土地がもらえて裕福に暮らせる」。1961年、屋宜ふみ子さん(90)=恩納村=は、琉球政府の移民訓練センターで職員からの言葉に心躍らせた。一家族当たり50ヘクタールの土地が配分されることになっていた。米国と琉球政府を挙げて進められた計画移民。屋宜さんも、苦しい生活を抜け出せると思っていた。しかし待ち受けていたのは、自力での過酷な開墾と厳しい暮らしだった。

「土地がもらえて裕福に暮らせる」。1961年、屋宜ふみ子さん(90)=恩納村=は、琉球政府の移民訓練センターで職員からの言葉に心躍らせた。一家族当たり50ヘクタールの土地が配分されることになっていた。米国と琉球政府を挙げて進められた計画移民。屋宜さんも、苦しい生活を抜け出せると思っていた。しかし待ち受けていたのは、自力での過酷な開墾と厳しい暮らしだった。
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